文化財建造物保存修理研究会の機関誌第6号に調査研究論文が掲載されました!

文化財建造物の修理技術者、研究者、職人、行政担当者等、文化財建造物の保存と修理に関わる様々な分野の方が会員である、「文化財建造物保存修理研究会」の機関誌、『文化財建造物研究』第6号(令和三年三月発行)に、私も会員の一人として、拙稿を投稿させて戴く御縁を戴きました。

私共に御縁の深い妙心寺様、大徳寺様、教王護国寺様において、江戸期に顕著な活動をした瓦師について調べたもので、平成二十九年三月に京都女子大学院生活造形学の修士課程を、同大学院教授の斎藤英俊先生(現客員教授)のご指導のもと、終了し、学位を取得致しましたが、その際の修士論文の一部を「近世京都の瓦師福田加賀に関する研究」としてまとめました。

以下に、論文から、瓦の箆書きの写真と、冒頭部分だけ論文要約をテキストで、ほんの少しになりますが、載せました。

箆書き写真ご紹介

箆書き 解説
ふく田彦太郎よ志な賀2

「ふく田彦太郎よ志な賀」

「福田加賀」の初代とされる瓦師の箆書きで、大徳寺黄梅院本堂の獅子口の上端に記されています。

黄梅院本堂棟積工事
丁度この時期、弊社で黄梅院本堂の棟瓦積工事をさせて戴く御縁があり、その際この箆書きの記された大棟の獅子口と、息子の竹村優孝(専務取締役)、職人さんと一緒に!
福田加賀 「福田加賀」

いろんな時代の「福田加賀」の刻銘がありますが、これは享保頃(1716~1736)のもので、妙心寺や教王護国寺で確認されています。
教王護国寺の軒唐草瓦の刻銘を拓本したものです。

大福吉清 「大福」「吉清」

「大福」は大仏と言うところに居住する「福田加賀」をあらわし、「吉清」は「福田加賀」の3代目と思われ、妙心寺の丸瓦や平瓦に多く確認されています。

藤原吉長四世目尚次 「藤原吉長四世目尚次」

「吉長」とは初代「ふく田彦太郎よ志な賀」のことで、その「四世目」を名乗るということは、余程初代が偉大な存在だったのではと・・
「福田加賀」全盛期に活動した「尚次」の丸瓦の箆書きで、隣家が偶然にも所蔵していたものです!

【英語<論文要約>】

The inscriptions written by spatuls, engravings or atamps on the roof tiles, provide information about the status and activies of “Kawara-shi” (artisans of making roof-tiles and/or roofing), and the date of construction or repair of the shrine or temple.
This paper analyzes the activities and the lineage of “Fukuda Kaga”, a family of “Kawara-shi” who were involved in the construction work of Daitokuji, Myoshinji, and Kyo-o-Gokokuji temples.
The research materials used in this study include spatula inscriptions on roof tiles, “Munafuda”wooden tags on which some information about the building’s construction or repair works are written), and construction documents etc., contained in the repair reports of national tresures and important cultural properties, as well as the results of previous studies and newly discovered records of “Fukuda Kaga” by the author’s research.As a result of reserch, the lineage of the Fukuda family, “Kawara-shi” became clear starting from the founder “Yoshinaga”(Fukuda Hikotaro Yoshinaga) to “Yoshitsugu”, “Yoshikiyo”,”Hisatsugu” (or “Naotsugu”), “Naoyasu”, “Naokane”, “Ietsugu”, “Yoshirobe”, and “Nobuyasu”.
It is also known that the family had already received the honorific title “Kaga-no-kami” and have the title of “Kawara On-daiku”(master of “Kawara-shi”) from the time of Tensho period. The family had been engaged in a wide range of activities, working on main buildings in the three temples while keeping its special high status for nearly 200 years.

【日本語<論文要約>】

瓦師が自ら瓦に記す箆書きや刻銘、刻印からは、瓦師の立場や活動内容、携わった社寺の建築年代、修理の時期等を知ることが出来る。本稿では、大徳寺、妙心寺、教王護国寺の建築工事に携わった瓦師「福田加賀」について、国宝・重要文化財修理報告書所収の史料を用いて、瓦に残された箆書き等、直接瓦師が印した記録の他、棟札や造営文書等瓦師に関わる記録を整理し、さらに既往研究において銘文集成されたもの、今回の筆者調査により新たに判明した瓦師に関する記録についても研究史料として用い、三寺院における「福田加賀」の活動とその系譜を明らかにするものである。
研究の結果、初代「吉長」(「ふく田彦太郎よ志な賀」)から、「吉次」、「吉清」、「尚次」、「直康」、「直賢」、「家次」、「良郎兵衛」、「信安」に至る系譜が判明し、歴代の瓦師の俗名と共に、その子や弟子の存在も確認された。
また、天正の頃から既に「福田加賀守」の受領名を授かり、「瓦御大工」の肩書を記し、寄進者と共にその名を瓦に箆書きを記すなど、当初からその特別な高い地位を保ちながら、約200年近くの間、三カ寺において主要な建物の工事に携わり、幅広く活動していたことが知られた。

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