布川敏和さんにインタビューを受けて月刊 CENTURY (センチュリー) 2020-6月号 に掲載されました。

月刊 CENTURY(センチュリー)という、独自の特集記事で中小企業の活躍を伝えていらっしゃる情報雑誌に、弊社が取材を受けて、6月号に掲載されました。インタビュアーは、シブがき隊のふっくんこと布川敏和さんでした。
ちょっと恥ずかしいですが・・・・伝えたいことがうまく表現できていなくて、十分ではありませんが、とにかく弊社のことが解っていただければ、と思います。せっかくの機会だと思いまして、思い切って受けてよかったです。
そういえば、取材で緊張していたので、ふっくんとは他の話は何もせずでした。
もう少しお話しとけば良かった・・・・・

以下、冊子から記事を文字に起こしました。是非ご一読いただければうれしいです。


技術、知識、伝統、精神

由緒ある瓦工事で、歴史を紡ぐ

歴史的建造物に溢れる古都・京都。街を彩る奥ゆかしい瓦屋根の多くは、現在の技術や素材とは違った方法・物によって施工されている。そんな伝統ある瓦を有する社寺仏閣などの屋根瓦工事を手掛けているのが、『(有)竹村瓦商会』だ。古くからの職人技術や文化を守る同社に、タレントの布川敏和氏が訪問。竹村社長にお話を伺った。

− さすがは京都の瓦屋さんですね。見たこともないような、古い瓦がたくさんあります。

弊社は、社寺仏閣や文化財、宮内庁などの屋根工事を手掛けているので、一般家庭で使用されない瓦を多く扱っています。それでめずらしい感じがするんでしょうね。

− 伝統を感じます。このお仕事はどなたが始められたのですか?

私の父・竹村四十一が岐阜の出張所から独立して創業しました。私も幼い頃から仕事を身近に見てきましたが、瓦工事は男の仕事というイメージがあったからでしょうか、あまり興味は湧かなかったんです。でも私は一人娘なので、将来何らかの形で家業には関わるのだろう、とは思っていました。「どうなるんやろう、嫌やな・・・・」若い時は、そんな風に思っていたのが正直なところです。

− それが、どうして家業に興味を持つようになられたのでしょう。

私が高校生の時に父は他界し、母・竹村千代子が2代目を継ぎました。突然多くの職人さんを抱えることになり、大変だったと思いますが、社寺や文化財関係の方々に支えられ、何とか継続させたようです。今思うと本当に立派だと思いますよ。その時も、私はさほど家業に関心はなかったのですが、大学卒業後、文化財保護課のアルバイトに行きまして、歴史的建造物を目の当たりにし、バイトをしながら色々なお話を聞くうちに、古い建物に興味が出てきました。同時に、家業についても関心が出てきたんです。そこから少しずつ手伝うようになり、やがて私は結婚。夫である竹村優夫も建築関係の仕事をしていたので、私の家業に入ってもらうことになりました。

− それは心強いですね!

その後は、母が会長、夫が社長に就き、3人で家業を守ってきました。そして2年前に、夫が会長に、私が社長に就任したんです。ちなみに夫は、『日本伝統瓦技術保存会』の会長も務めているんですよ。そして、建築設計事務所で経験を積んでいた息子の竹村優孝も、弊社の専務として頑張ってくれています。現場の段取りは息子を主体にしており、打ち合わせなどもこなしてくれているので、頼もしいです。

− では、跡継ぎも安心ですね。これは家業を守るのはもちろんですが、日本の伝統文化を守ることにもつながりますよ。

ありがとうございます。弊社ではこれまで、二条城、清水寺、妙心寺、大徳寺、仁和寺、東寺など国宝級の建造物を多く手掛けてきました。非常に古い瓦が使われていることも多く、江戸時代の刻印が残っている、なんてことも度々ですね。貴重なので使えそうなものは再利用しますが、一枚ずつ打音検査して状態を見ながら、新たな瓦も葺いていきます。昔の瓦が使用されている部分はこの二百年〜三百年で随分不揃いになってきているので、作業は一筋縄ではいきません。かなりの根気と技術が必要な仕事ですね。

− まさに職人の仕事という感じですね。

弊社の職人さんたちは、皆この仕事に誇りを持って臨んでくれています。古い瓦を扱うのはやはり難しいのですが。その分味わい深く、古くからの伝統や人の温もりも感じられる。何百年も前から残っていて、この先何百年も残っていく・・・・そんな仕事を手掛けていることに、大きなやり甲斐を感じているんです。ですから、徹底的にこだわり丁寧で誠実な仕事を行っていますし、そうした姿勢を評価いただいて、歴史ある建造物の工事を多く任せていただけるのかなと感じます。

− 技術も知識も特殊でしょうし、誰にでもできる仕事ではありませんものね。

私は家業に入ってからできることは手伝ってきましたし、経営の勉強もしてきました。ただ、現場の技術・知識については充分理解しているとは言えない部分もありました。そこで、これではダメだと思い、60歳を過ぎてから『京都女子大学』の大学院に入学。瓦について懸命に勉強し、近世瓦師の研究で修士の学位を取得しました。

− それはすごいですね!並大抵の意欲ではできませんよ。その熱意や知識を、是非後世にも残していってほしいです。

息子がさらに経験を積んだら、いずれは引き継ぐつもりです。そして、若い人材の育成にも力を入れていきます。実は、ありがたいことに昨年は20代の若者が2人、今年は大学で文化財について学んだ新卒者が1人入ってくれました。こうした新たな世代の人たちに、熟練の職人から技を伝授してもらい、歴史を紡いでいきたいです。

VIEW POINT ●●●

“ 小さくも暖かな習慣 ”

竹村社長が幼かったころ、社長の父親である初代・竹村四十一氏を中心に、大勢の職人たちが自宅に集まっていた。遠方出身の職人10人ほどは、社長の自宅の2階を寮として住んでいたという。そんな職人たちを、初代は殊の外大切にしていた。仕事終わりに自宅で杯を交わすことはしょっちゅうで、賑やかな毎日だった。給料は当時、現金手渡しだ。給料日には現金と一緒に、寿司とビールも渡すのが習慣となっていたそう。何とも粋な習慣だが、時を経て給料は銀行振込に。その時に寿司とビールを手渡しするのも止めようと思ったそうだが、職人たちはこれが意外と楽しみだったらしく、「続けてほしい」の声。今でも給与明細と共に、寿司とビールを渡し続けているそうだ。仕事に直接関係することではないが、何となく昔の職人世界の精神性を感じる、良い習慣だとは思わないだろうか。こうした小さな習慣にも歴史と伝統を感じさせる点にまた、『(有)竹村瓦商会』の職人らしさを見た気がした。

ゲストインタビュアー 布川敏和氏(タレント)

「竹村社長が60代になってから大学院で学び、修士まで取られたのには驚きました。大変熱心で向上心に溢れておられますね。また若手筆頭のご子息もめきめきと力を付けられておられるそうで、今後が楽しみです。60代や70代の職人さんはご子息を小さなころから知っていて、我が子のように可愛がってこられたとか。職人さんも含めて全員が家族のような絆がおありで、熱意も技術も素晴らしい。きっと、この先も長く良い仕事を続けられることでしょう」

代表取締役 竹村登茂枝

『(有)竹村瓦商会』の一人娘として生まれる。初代である父親の仕事を見て育つも、もともと家業に関心はなかった。母親が2代目を継いだころから徐々に興味を持つようになり家業へ。現在は、『日本伝統瓦技術保存会』の会長も務めるご主人、建築デザインを学んだご子息も共に働き、伝統ある文化と家業を守り続けている。

掲載記事のスキャン


月刊 CENTURY (センチュリー) 2020-6月号

月刊 CENTURY (センチュリー) 2020-6月号

CENTURYのホームページはこちら

月刊 CENTURY 2020-6月号 はこちら

ふっくんと記念撮影

シブがき隊のふっくん。両親の会社にインタビューしに来てくれたので、ちゃっかり一緒に記念撮影
by 左:長女の紗織(^_^)、右:竹村優孝の嫁の愛依美(^_^)
PAGE TOP